1. 会議の後出し指摘にモヤモヤした
会議中は何も言わなかったのに、終わった後になって「これこれの点が今回のプロジェクトでは難しいと思う」「過去にこういうことがあったから今回も無理だと思う」と指摘してくる人がいる。だったらあの時間の議論はなんだったんだ?と思える指摘をしてくるケースもある。単純にその場で気づかなかったのなら仕方がないが、意図的にやっているように見えてしまうこともある。
そうなると、すごく悪意を感じてしまう私がいる。
「だったらその場で言えばいいのに!」とイライラしてしまうのはなぜだろうか? このモヤモヤの正体を深掘りして考えてみた。
2. なぜこの人の行動が気に食わないのか?
おそらく、根底には「自分が一番賢い」「自分が一番知っている」というプライドが透けて見えるからだと思う。後出し指摘をすることで、「ほら、自分は気づいていたぞ」「みんなが見落としていたことを、自分は分かっているんだ」と誇示したいのではないか? そう感じると、すごく鼻につく。
しかし、そこでふと考えた。
もしかすると、私自身も「自分が一番賢い」とどこかで思っているのではないか?
3. 自分もまた、「自分が一番賢い」と思っているのでは?
冷静に考えてみると、異世界転生モノのアニメや小説で「最強主人公」が好きな自分がいる。なぜこういう作品に惹かれるのか? おそらく、それは全能感に浸るのが心地よいからだ。
「自分は賢い」「自分は気づいている」「周りの人は見落としている」—— そんな感覚がどこかにあると、同じように「賢さアピール」をしてくる人に反発を感じてしまうのかもしれない。
つまり、イライラの原因は「相手の行動」ではなく、「自分の心の中」にあるのではないか?
4. 人と比較してしまうことの苦しさ
「人と比べるな」「他人と競争する必要はない」と何度も言われているし、頭では理解している。しかし、実際にはついつい人と比較してしまう。
例えば、会議で意見を出す際、「自分の意見は正しいのか?」「もっと鋭い指摘をすべきだったのでは?」と考えてしまう。また、誰かの意見が的確だったり、後からの指摘がもっともらしく感じたりすると、「自分は見落としていたのかもしれない」と悔しくなる。
さらに、人と比較して自分が優位に立っていると感じると、無意識のうちに相手を見下してしまう自分がいることにも気づいた。そして、その瞬間に「なんて自分は嫌なやつなんだ」と罪悪感を抱き、結局は自分自身を苦しめてしまう。人と比較することで自分の価値を測ろうとするたびに、心がどんどん揺れ動いてしまうのだ。
- 仏教(般若心経):「すべてのものは無である」→ そもそも良いも悪いもないという考え方。
- アドラー心理学:「競争ではなく前進」→ 他人ではなく、今の自分が昨日の自分より前に進むことが大事。
この考えにはすごく共感するし、納得もする。でも、日常ではどうしても「比較」から逃れられない。
では、どうすればもっと楽になれるのか?
5. 解決策:「気づく→ジャッジを手放す→成長に変換」
この問いに対して、これまでに読んだ本などを思い出してみた。過去に『反応しない練習』『考えすぎない練習』『嫌われる勇気』といった本を読んだり、月に一度、般若心経の写経をしたりした。その中で、「結局は自分の心のあり方に尽きるのでは?」という考えにたどり着いた。
そして、現時点での私なりの解決策として、以下の流れを意識してみることにした。
① まずは「気づく」
イライラやモヤモヤを感じたら、すぐに「あ、また判断している」と気づく。
→ 例:「後出し指摘されてイラっとした」→「今、私はこの人を『嫌なやつ』と判断している」
② ジャッジを手放す
「これは良い」「これは悪い」と決めつけるから感情が生まれる。
→ 例:「ただの事実として受け止めよう。この人は後から指摘した。それだけ。」
③ 成長に変換する
どうせなら、このエネルギーを成長につなげる。
→ 例:「この人のやり方は好きじゃない。でも、自分ならどう改善できるだろう?」
ちなみにこの例を成長に変換するための具体的な解決策は、というと
- 会議前に概要を共有し、事前に気になる点や過去事例などで気になる点がないか聞いておく
- 会議時間に余裕を持ち、議論の途中途中で「これまでに何か見落としている点がないか」を全員に確認する→後出しを防ぐ
- 会議終了後に気づいたことがあれば、都度書き込める共有の場を作る→次回会議のアジェンダにする
だろうか。
6. まとめ:意識して実践してみる
この「気づく→ジャッジを手放す→成長に変換」の流れを意識してみる。すぐにはできないかもしれないが、少しずつ習慣化していけば、無駄なイライラやモヤモヤを減らせるはず。
そして、この考えを忘れないように、紙に書いて壁に貼っておこうと思う。
「気づく→ジャッジを手放す→成長に変換」
これを繰り返せば、もっとラクに生きられる気がする。