10社以上の会社を転職して、今、保守的な大企業にいる自分。ベンチャー企業と大企業では文化や目的がまるで違うということを、最近改めて実感している。
ざっくり言うと、ベンチャー企業の人は狩猟民族っぽくて、大企業の人は農耕民族みたいな感じ。どっちがいいとかじゃなくて、ただ「生き方とか考え方が全然違うな〜」と思う。
企業って、ひとつの国みたいなもので、それぞれ独自の習慣やルールがあって、言わなくても伝わる「暗黙の了解」も多い。そこに長くいると、「これが普通なんだ」と思い込んでしまって、気づいたら「社内の常識=世界の常識」みたいな錯覚に陥る。そしてそれが大企業だと、個人の実力じゃなくて会社の看板だけで外部の人が言うこと聞いてくれたりするから、気づかないうちに井の中の蛙か、ひどい人だと裸の王様になっていたりする。
ベンチャーは狩猟民族、大企業は農耕民族
ベンチャーはとにかく新しい獲物(ビジネスチャンス)を求めて動き回る。スピード重視、失敗したら「あーはいはい次ね!」という感じ。一方で、大企業は「長期的に安定させないと!どこからもクレーム言われないようにしないと!」と慎重派。どちらもそれぞれの生き方だとは思う。
どっちが正しいとかではなく、規模や役割による生存戦略の違いというか。
「当たり前」に染まる。それはそれで幸せ
ひとつの文化にどっぷり浸かると、それが世界のすべてになってしまう。その場所が過酷な環境だったり、実は非効率だったとしても、それが起こる。
例えば、過去にハマった韓国ドラマ『愛の不時着』では、主人公が北朝鮮の人々と貧しい暮らしを体験することで、韓国の裕福な暮らしぶりとの対比を面白おかしく表現していたが、北朝鮮の貧しい暮らしがそれはそれで慎ましく牧歌的で、それしか知らない人にとっては幸せな暮らしになりうるということを改めて思った。都会に住みたいか、田舎に住みたいか、というのもそうだけど、人にとっての幸せはさまざまだから、どちらがいい悪いということではない。
だから大企業にいると、
- 「例年通り」が当たり前
- 「このやり方しかない」が当たり前
- 「リスクは取らないのが安全」が当たり前
…となりがち。「それ、ほんとにベスト?」って疑う機会が減ってくる。(疑わなくても、会社は潰れないし給料はもらえるから)
大企業社会の「当たり前」は、もう持続できない?
でもこの「当たり前」、そろそろ崩壊しつつあるのではないかと思う。無駄が多くて、非効率的で、改革が進まない。そして人口は減り続ける。その結果、日本の地方のインフラは崩壊し、バスはなくなり、水道や電気も維持できなくなってしまうのではないか、と言い出すエライ人もいる。
さらに、高度経済成長期とバブルを経験した上の世代が「いや、こういうもんでしょ?」と権力を握ったまま離さないから、ますます変革が進まない。口では「改革だ!変革だ!」と言うものの、実際は具体的なやり方が分からないから、思いつきで号令を出すだけで現場は混乱する。この状況で、結局、会社にとっても個人にとっても何も良いことはない。この世代が権力を持ち続ける限り、物事は前に進みにくいんじゃないかと思う。
では、自分はどう生きるべきか?
このまま大企業の平社員として、「焼石に水」みたいな抵抗を続けるのは正直、精神的にかなりしんどい。
だったら、リスクを取ってでも、もう少し変化を推進できる(できそう)なポジションにいる方がいいんじゃないかと。
具体的には、ひとつの会社に縛られるんじゃなくて、外からいろんな企業に関わって提案する立場になること。つまり、事業側ではなく受託側(クライアントワーク)に戻る。でもまたベンチャー企業に戻ると、上司に不満が出てストレスがたまるだけだろうから、フリーランスとして働く、という選択が自然に思えてきた。
もちろんリスクはある。でも、大企業の中で、上層部のくだらない政治的なマウント合戦にまみれながら、安い給料をもらって「ちょっとずつ変えよう」とするのは、だいぶストレスがたまる。それなら、「変えたいです!」と本気で思ってる企業と組んだ方が話が早いし、結果も出やすいし、自分がもらえる給料も高い。
でもぶっちゃけ、大企業の平社員は責任が少ない割にはそこそこもらえるし、有給もとりやすいし、残業まみれになることもない。体にとってはかなりラク。ものすごくラク。
ただローリスクローリターンな安定を求めるだけでは、この先じわじわと生きづらくなると、直感では思う。だからこそ、体が動くうちにできることをやっておこうくらいのノリで、フリーランスをはじめてみるのもありかもしれない、とも思う。